2024年3月11日月曜日

東関東大震災から13年が経過して

 2012年の測量士補試験の1ページ

私が書痙で悩んでいた頃、手に職をつける意味で測量業界に憧れていました。
本来なら測量の勉強をしてから、現場に出るのが普通ですが、
人手不足のため、25歳の頃にこの世界に飛び込んでしまいました。

今となっては、仕事に対して未練があるものの、人生の経験としては、
非常に厳しく充実した生活を現地で送っていました。
ただ、この仕事は、常に危険と隣り合わせで責任も重い仕事でした。
この世界に入って私は初めて社会の厳しさを目の当たりにしました。

そのため、辞めることを決意するのですが、お世話になった先輩方に、
「何の役にも立てず申し訳ない」その気持ちが今も心残りです。
その後、都内に戻ってから測量士補試験を受験したのですが不合格に終わりました。

仕事で後悔しないためにも、自分のやりたい仕事を探すのではなくて、
自分の出来る仕事を探すことが大事と考えるようになりました。

2024年1月3日水曜日

明けましておめでとう2024

書痙回復後のペンの持ち方 (ZEBRAのシャーペン0.5mm)
 
2024年。明けましておめでとうございます。
このブログは、書痙という難病をテーマにした研究日記ですが、
いつの間にか治ってしまったので、研究の対象を拡張してジストニアを、
どうしたら治せるのか。また原因は何なのかを突き止めることを目的に、
書き続けています。

思えば、2009年頃から始めたブログだったと思います。
正確には、2002年頃から書痙を患い、2016頃からタイピングに転移し、
2023年に書痙は完治状態、タイピングはだいぶ治ってきた状態です。

その間も8年以上、仕事を続けられたのは奇跡かもしれません。
やはり、字が書けないとメモが取れないので、仕事では散々怒られました。
加えて、タイピング入力が出来ないと左手でゆっくりでいいからと言われ、
左手だけで入力する方法を習得したり、Dvorak左手配列という米国式の
キーボード配列も練習しました。

私より長期的にまだ治っておられないジストニアの患者さんが多くいると、
考えています。そのためにも、ブログを継続して広報活動に取り組んだり、
C言語でアルゴリズムについて学習したりしています。
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2023年12月11日月曜日

私のジストニアは突然発症して突然治った

書痙時代にPHPを学んだノートの抜粋

私は、いつもGoogleニュースの通知機能を利用しています。
例えば「ジストニア」という単語を登録するとその単語を含むニュース記事を、
メールで配信してくれるサービスのことです。

今回、この記事を投稿しようと思ったきっかけは「凛として時雨」というバンドの
ドラマーの方がジストニアを告白して、この苦しみは誰にも共有されることはない。
という内容の報告をしていたことです。

私の場合、神経系の薬を服用していたことが大きな要因だったのかもしれませんが、
書痙になってから、20年間本当にこの苦しみは誰にも理解されないと思いました。
Googleでジストニアのアラートメールが届くと必ずチェックしていますが、
ピアニストの方やバンドのボーカル、ドラマーさんが結構多く患っていました。

最近は、書痙という局所性ジストニアが広く知られるようになってから、
鍼とリハビリで治るよとか、マッサージで徐々に完治といった情報が流れていますが、
私は、正しい情報が上塗りされているとしか思えません。鍼は私も体験しましたが、
1年もかけて専門の鍼治療を行っても全く治りませんでした。

かといって、ジストニアは治らないとは断言できないので伝え方が難しいところです。
ただ、私の場合は薬に頼る形で、突然発症して20年後に突然治ったのは事実です。
書痙で字が書けないストレスはカラオケでロック系の曲を歌って解消していたので、
「凛として時雨」のドラマーさんの告白はかなり衝撃的でした。

2023年11月27日月曜日

書痙の方はどうなったかというと。

書痙が完治した状態の文字

約半年前、神経系に関わる薬を服用してから書痙が治りました。
今回の状態は一時的なものではなく本当に書痙が治った状態を現しています。

上記の写真がそれを証明しているように、字の特徴や癖まで元に戻りました。
20年以上もの間、治らず苦悩していたことが嘘のようです。
ただし、書字と引き換えにタイピングにその症状(ジストニア)が転移しました。
本当だったら、書痙のメカニズムを解き明かしたいところですが、
お金の事情で今は会社員として働いています。

また、前回は情報セキュリティマネジメントという資格を取りましたが、
今回は、また新たな資格取得を目指しています。

2023年9月23日土曜日

20年ぶりに取得した資格

資格の勉強中に取ったメモ

今年(2023年)の6月ごろ、書痙になってから初めて取得しました。
IPA主催の「情報セキュリティマネジメント」という国家資格です。

働きながら勉強していたので、教科書の最後の方の単元は覚えていません。
基本情報技術者の資格は学生のうちに取得したので、次は応用情報を目指しています。

上記の写真が合格証書ではない理由は、最近の試験はCBT形式といって、
コンピュータを使って受験し、結果もログインして受験番号を打ち込んで確認。
という流れだったためです。(なんだか達成感が乏しいです)

その後、 郵送で合格証書が送られて来たらしいのですが、思うことに、
最近の資格試験は効率的で私が受験した資格もほぼペーパーレス化されており、
持ち物には写真不要で筆記用具も不要、時計もPCの時計で確認するので不要。
ただし、自分を証明するための証明書と受験票だけは必要になります。

ただ、自分の持っている資格が1つ増えたことに関しては非常に嬉しいです。
20年間何も勉強できなかったことがバネになって勢いで合格できたような、
そんなイメージです。書痙・ジストニアの研究はまだ続けます。頑張ります。

2023年7月2日日曜日

ジストニアで苦しかったことの告白

最近始めた簿記3級の勉強

現在30代後半の私は、今まで20年間もの間、ジストニアに苦しめられて来ました。
まだ完治していないタイピングを除いても、人生の半分以上は書痙に苦しみました。

これは、ジストニアを経験している人にしか解らない事実と思っています。
具体的には、勉強が出来ないこと、就職活動で書類が書けないこと、
障害者雇用でしか働けないこと、メモを取れないこと、記憶力が低下すること、
大切な友人を失うこと、薬の副作用が発生すること、収入の面で苦労すること、
ジストニアという病名の認知度が低いため病名が分かるまで時間がかかること、
病名がわかっても原因や治療法がないことなどです。

よく、ジストニアで悩んでおられるブロガーの方や著名人の方々がいますが、
本当に自分が一番やりたいこと、得意なことだけができなくなるおかしな病気に、
人生を間違えずに歩んで欲しいと思っています。

私がジストニアを患ってから1年後の頃、私は自殺することを考えていました。
必死に父に止められて、もう自殺はしないと心に誓いました。
でも、苦しいのは事実で、それを誰も理解してくれない現実はまさに地獄でした。

今となっては、アーテンという薬に支えられて助かってはいますが、
失ったものは戻って来ません。大切な友人や時間は戻って来ませんでした。
字が書けるようになってからは情報処理試験や簿記の資格などを始めましたが、
能力の衰えもあり、なかなか前に進みません。

ジストニアは本当に残酷な病気のひとつだと思います。

2023年6月30日金曜日

タイピングのハイスコア更新


今まで毎日「ジスバル」と「アーテン」というお薬(どちらも錠剤)を服用し、
観察していました。ジスバルをやめてからどちらの薬の効果だったのか、
正直、判断がつきませんでした。そこで、試しにアーテンというお薬を
前回の診察のときに、アーテンだけ増量してみたいとお願いしました。

すると、10錠だけとんぷくという形で処方して頂けました。
もし、アーテンの効果によるものだとしたら、まだ治らないタイピングの
精度が向上するかもしれないと考えました。

結果的には「アーテン」がジストニアに効果的と結論づけています。
理由は、普段1日のアーテンの処方量が2mg*3=6mgなのに対して、
さらに、とんぷくのアーテン2mg*2を追加したら、調子が良くなったからです。

タイピングに関してはまだまだ万全ではありませんが、
先日ハイスコアを更新したものを更に更新できたので、
記念として画像に残しました。